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東京駅の復原、どこまで100年前の本物?建築士が見て歩く保存の秘密

東京駅の復原で蘇った丸の内駅舎の赤レンガ外観と南北ドームを正面から見た水彩スケッチ

この記事の要点(30秒で読めます)

  • 東京駅は建て直されておらず、1・2階は1914年の本物、3階とドームは2012年に復原された部分です。
  • レンガだけでなく「目地」と、1・2階と3階の境目を見ると、新旧の違いが分かります。
  • 次に丸の内広場を通るとき、白い石のラインを境に上下のレンガを見比べてみましょう。
東京駅の復原で蘇った丸の内駅舎の赤レンガ外観と南北ドームを正面から見た水彩スケッチ

東京駅の丸の内駅舎は、たぶん誰もが一度は見たことがある建物だと思います。待ち合わせで前に立った人も、新幹線に乗るために通り過ぎた人も多いはずです。

ところが、「あの赤レンガのどこまでが100年前のものですか?」と聞かれて、すぐに答えられる人はあまり多くありません。2012年にきれいになったと聞いて、「全部建て直したのかな」と思っている人もいるのではないでしょうか。

今日は建築士の目で、東京駅の「復原」を歩いてみます。結論を先に言うと、東京駅は建て直されたわけではありません。1914年の本物を残し、その上に失われた部分を戻した建物です。

目次

東京駅は「全部新しくなった建物」ではない

最初に、いちばん多い誤解からほどいておきます。2012年に工事が終わったので、「新しい駅舎」だと思われがちです。でも実際は、新旧が一枚の壁のなかで重なっている建物です。

1・2階は1914年創建時の建物

丸の内駅舎は、辰野金吾らの設計で1914年(大正3年)に開業しました。南北に約335メートルも続く、とても横長の建物です。

1階と2階の壁や鉄骨は、基本的にこの創建時のものが残っています。外から見えるレンガの壁も、多くは100年以上前に積まれたものです。「古く見える部分は、本当に古い」ということですね。

3階とドームは2012年に復原された

一方、3階と南北のドーム、そして屋根は、2012年の工事で創建時の姿に戻された部分です。戦争で失われていたため、資料や写真をもとに作り直されました。

つまり、「古い東京駅に、新しい3階とドームを載せた」と考えると、いちばん分かりやすいと思います。

保存と復原の違い

ここで言葉を整理しておきます。「保存」は、いまあるものを残すこと。「復原」は、後の時代に変わってしまった姿を、元の姿へ戻すことです。

東京駅は、この二つを同時に行いました。だから公式の呼び方も「保存・復原」なのです。

東京駅は、なぜ一度2階建てになったのか

創建時の東京駅は3階建てでした。それがなぜ、60年以上も2階建ての姿だったのでしょうか。

東京駅の創建時の3階建てと戦後の2階建て八角形屋根、現在の復原姿を並べた建築比較イラスト

1945年の戦災

1945年(昭和20年)5月、空襲によって丸の内駅舎は大きな被害を受けました。木で作られていた屋根や内装が燃え、3階部分とドームの屋根が失われたとされています。

それでも、鉄骨の骨組みと1・2階のレンガ壁は残りました。ここが、のちの保存につながる大事なポイントです。

1947年の応急復旧

戦後すぐ、駅は使い続けなければなりませんでした。そこで1947年に、3階を取り払って2階建てにし、屋根も八角形のかたちに変える応急的な復旧工事が行われました。

資材も人手も足りない時代です。建築士として見ると、「まず動かす」ことを最優先にした判断だったことがよく分かります。

約60年間使われた2階建て東京駅

この「とりあえずの姿」が、結果として約60年間、東京の玄関口として使われ続けました。2007年に保存・復原工事が始まるまで、多くの人が見慣れていたのは、実はこの2階建ての東京駅だったのです。

仮の姿のはずが、半世紀以上も日常の風景になった。建物の歴史には、こういう不思議な時間の流れがあります。

なぜ東京駅を壊して建て替えなかったのか

では、傷んだ古い駅舎を壊して、新しく建て直す道はなかったのでしょうか。実は、その選択肢は何度も話題になりました。

超高層化構想

駅の上に高いビルを建てて、土地を最大限に使う。そういう考え方は、東京の中心部では自然なものでした。東京駅も、高層ビルに建て替える案が語られた時期があったと言われています。

保存運動

これに対して、建築の専門家の団体や市民の側から、赤レンガの駅舎を残してほしいという声が上がりました。「建物は壊せばなくなる」という当たり前のことを、多くの人があらためて意識した時期でした。

重要文化財指定

そして2003年(平成15年)、丸の内駅舎は国の重要文化財に指定されます。こうなると、むやみに壊したり、見た目を変えたりすることができなくなります。

ここで方針がはっきりしました。残っている本物を最大限に残し、失われた部分を元の姿に戻す。東京駅の「保存・復原」は、この決断から始まっています。

なぜ「復元」ではなく「復原」と書くの?

検索では「東京駅 復元」と入力する人も多いのですが、公式の資料では「復原」と書かれています。同じ読み方なので、ただの表記ゆれに見えるかもしれません。

文化財の世界での使い分け

文化財の世界では、一般に次のように使い分けられています。

  • 復元:なくなってしまったものを、資料をもとに新しく作り直すこと
  • 復原:残っているものを活かしながら、変わってしまった部分を元の姿へ戻すこと

東京駅には、1914年の建物そのものが残っていました。ゼロから作ったコピーではなく、本物の上に失われた部分を戻した。だから「復原」なのです。

厳密な定義は使い手によって違う

ただし、この使い分けは分野や使う人によって少し幅があります。本記事では、東京駅の公式な呼び方に合わせて「復原」を基本の表記にしています。

この違いを知っておくと、東京駅の見え方が少し変わります。「新しく見える部分」と「本物の部分」を分けて見る、という視点が持てるからです。

約500億円の工事費を生んだ「空中権」とは

東京駅の保存・復原は、約500億円規模の工事だったと言われています。ここで多くの人が気になるのが、「そのお金は誰が出したの?」という点です。

使われなかった容積率

建物には、その土地にどれだけの大きさまで建てていいか、という上限があります。これを「容積率」と呼びます。東京駅の敷地は、本来ならもっと高い建物が建てられる枠を持っていました。

でも、復原後の駅舎は3階建てで、その枠のほんの一部しか使っていません。建てなかったぶんの枠が、そのまま余っていたわけです。

周辺ビルへの容積移転

この余った枠を、周辺の再開発ビルへ移す。そのために使われたのが、「特例容積率適用地区」という都市計画の制度です。移された側のビルは、その分だけ高く、大きく建てられます。

JR東日本は、その対価を工事費に充てたと説明されています。

公式資料で費用の出どころを確認してみた

この仕組みについて、公式の資料を探してみました。制度を活用したことや、東京駅の余った容積を周辺へ移す計画があったことは、JR東日本の公表資料や土木学会の技術賞の資料で確認できます。

一方で、約500億円という具体的な金額は、主に報道や解説記事で紹介されているもので、公式発表でそのまま確認できたわけではありません。この記事では「約500億円規模とされる」という書き方にとどめています。

保存と再開発を両立した都市計画

僕がこの仕組みで面白いと思うのは、「保存」と「開発」を対立させなかったところです。

東京駅は低い建物のまま残る。そのかわり、周りのビルが高くなる。建物を残すことと都市が成長することは、必ずしも反対ではない。そういう答えを、制度の力でつくった例だと思います。

東京駅を営業したまま、どうやって地下を免震化した?

東京駅の工事で、建築士として最も驚くのは、駅を止めずに地下の工事をしたことです。毎日たくさんの人が行き交う巨大な駅の下で、別の構造を作る。想像するだけで大変な作業です。

東京駅の仮受けで荷重を支えながら地下に免震層を作る工事を示した一般向けの建築断面イラスト

アンダーピニングという考え方

使われたのは、「アンダーピニング」と呼ばれる工法です。簡単に言うと、建物の重さを一時的に別の支えに預けておいて、その間に下を掘り、新しい土台を作る方法です。

建物をその場所に置いたまま、支える場所を少しずつ交換していく。そんなイメージです。

「駅を持ち上げた」は少し違う

ネットでは、「東京駅をジャッキで持ち上げて免震装置を入れた」という説明を見かけることがあります。でも、建物の高さを上げたわけではありません。

仮の支えで荷重を受け、その下を掘って地下の躯体を作り、完成した場所へ重さを移していく。こう理解するのが近いと思います。

約350台の免震装置

地下に入れられた免震装置は、鉛プラグ入りの積層ゴムなどを中心に、約350台と紹介されています。駅舎が約335メートルと長いため、これだけの数が必要になりました。

なぜ免震だったのか

ここが、いちばん大切な部分です。レンガ造の古い建物を地震に強くするだけなら、壁を厚くしたり、鉄骨の筋かいを入れたりする方法もあります。でもそれでは、貴重な壁や内部の空間が補強で覆われてしまいます。

免震なら、地面からの揺れを建物の下で切り離すことができます。目に見える部分にはほとんど手を加えずに済む。これが、免震が選ばれた理由です。

赤レンガはどこまで100年前の本物?

読者のみなさんがいちばん気になっているのは、きっとここだと思います。目の前のレンガは、本物なのか。

東京駅丸の内駅舎の1・2階の創建時レンガと3階の新しい化粧レンガの境目をとらえた外壁の水彩スケッチ

1・2階の創建時レンガ

1階と2階の外壁は、創建時の構造を残しています。傷んだ部分は補修され、割れた部分には手当てがされましたが、基本的には100年以上前のレンガ壁です。

「古い建物を、時間をかけて磨いて残した」と考えるのがいちばん近いと思います。

3階の新しいレンガ

戦災で失われた3階の外壁は、新しく焼いたレンガで復原されました。愛知県の常滑などで焼かれた化粧レンガが使われたと紹介されています。枚数は約40万枚とされることが多いようです。

新旧の色をなじませる工夫

ただ、100年たったレンガの隣に新品のレンガを並べると、色が浮いてしまいます。そこで、焼き色の異なるレンガを混ぜて貼る工夫がされたと言われています。

建築士として見ると、ここが一番むずかしいところです。同じ色にそろえるのではなく、あえてばらつきを作る。新しいものを「古く見せる」のではなく、「違和感を消す」ための工夫だと思います。

建築士ならここを見る|東京駅の5つのディテール

ここからは、実際に現地で探してほしいポイントです。歩きながら、五つの視点で見てみてください。

東京駅の赤レンガの間に半円状に盛り上がった覆輪目地が光で陰影をつくるクローズアップの水彩スケッチ

1・2階と3階の境界

丸の内広場から見上げると、白い石の水平なラインが目に入ります。このあたりを境に、下は創建時、上は復原されたレンガ、という見方ができます。

色はなじんでいますが、よく見ると、レンガの表情が少し違います。まずここを探してみてください。

覆輪目地

次に、レンガではなく、レンガとレンガのあいだを見てください。「覆輪目地(ふくりんめじ)」と呼ばれる、半円状に盛り上げた仕上げが使われています。

光が当たると小さな影ができて、壁全体が立体的に見えます。建築士は、レンガそのものより、こうした「つなぎ目」の仕上げを気にして見ることが多いです。

ドーム天井

内部では、南北のドームの天井を見上げてみてください。鷲や干支、鳳凰などのレリーフが並んでいます。見上げる位置から眺めるだけで、空間の印象がまったく違います。

天然スレート屋根

屋根は、天然スレートで葺かれています。戦後の屋根に使われていたスレートの一部が再利用されたと紹介されており、約2割という数字も語られています。新しい材と古い材が、屋根の上でも混じっているわけです。

行幸通りから見る都市軸

最後は、少し離れて全体を見てみます。皇居から続く行幸通りの正面に、東京駅は左右対称で立っています。建物単体ではなく、街の軸線の終点として見ると、このプロポーションの理由が見えてきます。

東京駅を訪れる前に、この記事も合わせて読んでおくと、見どころの全体像がつかみやすくなります。東京駅丸の内駅舎、どこを見る?建築士が歩いて気づいた10の見どころでは、別の角度から丸の内駅舎を歩いています。

ドームを見上げると「100年前の本物」が残っている

東京駅丸の内駅舎のドーム内部を見上げた鷲と干支の石膏レリーフが並ぶ天井の水彩スケッチ

駅の改札前でドームを見上げる人は、意外と少ないものです。でも、ここには復原の面白さがぎゅっと詰まっています。

創建時レリーフ

ドームの天井には、戦火を耐えて残った創建時の石膏レリーフが一部あると紹介されています。周りの新しく復原されたレリーフに混じって、少し違う表情を見せているそうです。

新旧の境目を探しながら見上げる。写真で見るより、現地で立ってみるとよく分かる楽しみです。

8つの干支

ドームには、干支のレリーフが八つ並んでいます。十二支のうち、子・卯・午・酉を除いた八つです。

ちなみに、辰野金吾が設計した佐賀県の武雄温泉楼門には、この残りの四つが彫られていることでも知られています。両方をあわせると十二支がそろう、という話ですが、設計意図まではっきりしているわけではありません。ここでは、面白い偶然として紹介しておきます。

東京ステーションギャラリーで「本物の東京駅」に触れる

東京ステーションギャラリー内で見られる創建時の赤レンガ壁と補強鉄骨が並ぶ展示室の水彩スケッチ

東京駅の中には、美術館の「東京ステーションギャラリー」があります。展覧会そのものも楽しいのですが、建築士としては、壁にも注目してほしい場所です。

創建時のレンガ壁

ギャラリーには、創建時のレンガ壁がそのまま見える展示室があります。「美術館の壁」ではなく、「100年前の建物の壁」だという意識で眺めてみてください。

戦災の焦げ跡

壁のなかには、戦災のあとを思わせる痕跡が見られる部分があります。きれいに直すのではなく、あえて残している。保存の考え方がよく表れているところです。

100年前の建物が展示品ではなく建物そのもの

ここで大切なのは、「展示してある」のではなく、「いまも建物として使われている」ことです。美術館を見るだけでなく、美術館の壁をぜひ見てほしい。ウェスティンからのお願いです。

なお、開館時間や休館日、入館料は展覧会によって変わります。訪れる前に、公式サイトで確認してください。

実は地下には1万本以上の松杭があった

東京駅には、もう一つ、地面の下に隠れた物語があります。

創建時の基礎

創建時の東京駅は、地下に松の丸太を約11,050本打ち込んで建物を支えていたとされています。「昔の建築はどこか頼りない」と思う人もいるかもしれませんが、この基礎は100年以上も建物を支え続けました。

なぜ腐らなかったのか

松の杭は、地下水の中に常に浸かっていると、空気に触れにくく、傷みにくいと言われています。水の中だから残る、という少し不思議な理屈です。

昔の人の知恵と、いまの技術。その二つが同じ建物の下で重なっているところが、東京駅の面白さの一つだと思います。

建築士の僕が東京駅で一番面白いと思うところ

ここまで読んでくださった方に、僕の考えをお伝えします。

新しく見せないために、新しい技術を使っている

東京駅を歩いていても、免震装置や地下の構造はほとんど見えません。駅の利用者の多くは、そんな工事があったことすら気づかないでしょう。

でも、それこそがこの建築の面白さだと僕は思います。新しい技術を見せるためではなく、100年前の姿を守るために使っている。見えないことが、そのまま成功の証なのです。

「新しくすること」だけが建築ではない

建築というと、新しい建物を作ることを思い浮かべる人が多いはずです。でも、すでにあるものを残し、働き続けられるようにすることも、同じくらい大切な仕事です。

東京駅は、そのことを毎日、何十万人もの人に静かに教えてくれる建物なのかもしれません。

次に東京駅へ行ったら、ここを見てみてください

皇居から続く行幸通りの正面に左右対称で立つ東京駅丸の内駅舎を遠景でとらえた水彩スケッチ

読み終えたあとに実際に歩けるよう、見る順番をまとめておきます。

歩く順番の目安

  1. 丸の内広場から、1・2階と3階のレンガの境目を見る
  2. レンガではなく「目地」を見る
  3. 南北のドームを見上げ、干支のレリーフを探す
  4. 東京ステーションギャラリーで、創建時のレンガ壁を見る
  5. 行幸通りまで歩き、皇居との軸線のなかで東京駅を見る

持っていきたい視点

専門知識は必要ありません。「ここは本物かな、それとも復原かな」と、ほんの少し立ち止まって眺めてみる。それだけで、いつもの景色が違って見えてきます。

まとめ|東京駅は「古い建物を残した」だけではない

東京駅の保存・復原は、古い建物をそのまま残しただけの話ではありません。

  • 1・2階の本物を残し、3階とドームを復原したこと
  • 空中権という制度で、保存と再開発を両立させたこと
  • 免震という見えない技術で、見える部分を守ったこと

この三つが重なって、いまの東京駅があります。次に丸の内駅舎の前を通ったときは、赤レンガの色や目地、3階との境目を少しだけ見てみてください。それまで「きれいな東京駅」だった建物が、100年以上の時間を抱えた建築として見えてくるかもしれません。

建築を知ることは、専門用語を覚えることではありません。いつもの景色の中に、少し違うものが見えるようになること。次に東京駅へ行ったときは、ぜひ赤レンガを少しだけ近くで見てみてください。

よくある質問

Q. 東京駅丸の内駅舎は一度取り壊して建て直されたのですか?

取り壊されていません。1・2階の壁や鉄骨は創建時のものを修理して使い、戦災で失われた3階とドーム、屋根を復原しました。

Q. 今見える赤レンガは100年前の本物ですか?

1・2階の外壁は、創建時のレンガ壁が多く残っています。3階部分は、2012年の復原にあわせて新しく焼かれたレンガが使われています。

Q. なぜ2階建てから3階建てに戻したのですか?

戦後の2階建ては、応急的な復旧でした。2003年に国の重要文化財に指定されたことなどを受け、創建時の姿に戻す方針になったと説明されています。

Q. 「復元」と「復原」はどう違いますか?

一般に、失われたものを新しく作り直すのが「復元」、残っているものを活かして元の姿へ戻すのが「復原」と使い分けられます。東京駅は後者にあたるため、公式には「復原」と書かれています。

Q. 約500億円の工事費は税金で払われたのですか?

JR東日本が、東京駅の余った容積率を周辺ビルへ移す制度を使って費用をまかなったと説明されています。金額については、公式資料で確認できる情報と報道で紹介される情報があるため、詳しくは公式の発表をご確認ください。

Q. 空中権とは何ですか?

土地ごとに決まっている「建てられる大きさの上限」のうち、使われていない分のことを、分かりやすくそう呼ぶことがあります。東京駅の場合は、特例容積率適用地区の制度で周辺ビルへ移されました。

Q. 東京駅を持ち上げて免震工事をしたというのは本当ですか?

建物の高さを上げたわけではありません。仮の支えで荷重を受けながら地下を掘り、新しい地下躯体と免震装置へ荷重を移す方法が使われました。

Q. 免震装置はどこに入っていますか?

駅舎の下の免震層に、約350台と紹介される装置が配置されています。普段の利用では、目に触れることはほとんどありません。

Q. ドームの干支が8つしかないのはなぜですか?

八つの干支が並んでいることは確認できますが、その理由について、設計者の意図がはっきり資料で示されているわけではありません。武雄温泉楼門と合わせて十二支になることでも知られています。

Q. 現地で、古い部分と新しい部分が見分けやすい場所はどこですか?

丸の内広場から見る1・2階と3階のレンガの境目、そして東京ステーションギャラリーの創建時レンガ壁が分かりやすい場所です。ギャラリーの開館時間や料金は、展覧会によって異なります。

参考・出典

  • 東日本旅客鉄道(JR東日本)「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事 プレスリリース」
    https://www.jreast.co.jp/press/2011/20110906.pdf
  • 東日本旅客鉄道(JR東日本)「Tech 44 東京駅丸の内駅舎保存・復原の技術報告」
    https://www.jreast.co.jp/development/tech/pdf_44/Tech-44-03-06.pdf
  • 土木学会 技術賞「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事」
    https://jsce.or.jp/prize/tech/files/2013_11.shtml
  • 東日本旅客鉄道(JR東日本)「東京駅丸ノ内本屋の重要文化財指定」関連資料
    https://www.jreast.co.jp/press/2002_1/20020511/index.html
  • 東京ステーションギャラリー(東日本鉄道文化財団)公式サイト
    https://www.ejrcf.or.jp/gallery/
  • 東京ステーションシティ「丸の内駅舎のみどころ」
    http://www.tokyostationcity.com/learning/station_building/
  • 鹿島建設「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事」
    https://www.kajima.co.jp/tech/tokyo_station/index-j.html

※本記事の情報は執筆時点のものです。開館時間・料金・予約方法・休館日・工事等の最新情報は、必ず施設公式サイトでご確認ください。

※本記事の挿絵はイメージであり、実際の建物の形状・色・細部とは異なる場合があります。

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