この記事の要点(30秒で読めます)
- 窓が大きいのは、SRC造の骨組みと、広い作業室で郵便物を処理する用途から生まれた設計です。
- 建築士の目では、白い柱と梁の格子、八角形の柱、東京駅に呼応して折れる外形に注目です。
- 保存・復原・新設を分けて見ると、KITTEの低層部の見え方が変わります。
東京駅の丸の内駅舎の前に立つと、赤い煉瓦の駅舎と向かい合うように、白くて端正な低層の建物が目に入ります。商業施設KITTE丸の内の足元にあたる部分です。
ここで、少し不思議に思いませんか。商業施設にしては窓が大きく、しかもびっしりと並んでいます。白い壁に黒い窓枠という、ずいぶん潔い組み合わせでもあります。
実はこの外観は、1931年に竣工した旧東京中央郵便局の姿を受け継いだものです。設計は逓信省(のちの郵政・通信を担った官庁)の建築家、吉田鉄郎。窓の大きさにも、柱の形にも、東京駅との違いにも、ちゃんと理由があります。
今日は建築士の目で、この建物を「なぜ?」から読み解いてみます。なお、資料で確認できる事実、研究者の解釈、私自身の考察は、できるだけ書き分けます。

旧東京中央郵便局の窓はなぜ大きい?

大きな窓を可能にしたのは「骨組み」の工夫
この建物は、鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)です。鉄骨の骨組みのまわりに鉄筋を組み、コンクリートで包んで一体にした構造のことです(郵政博物館 研究紀要に、SRC構造・地下1階・地上5階とあります)。
ここからは建築士としての解説です。煉瓦や石を積み上げる建物は、壁そのもので建物の重さを支えます。壁に大きな穴を開けると、それだけ弱くなってしまいます。
一方、SRC造は柱と梁の骨組みで建物を支えます。壁は骨組みの間を埋める役目になるので、柱と柱のあいだを大きな開口にできます。窓が大きくなった技術的な土台は、この構造にあります。
吉田自身も、1933年に発表した文章で「鉄骨鉄筋コンクリート構造法を利用して窓面積を出来るだけ大きくし」と書いています(NTTファシリティーズ「展示パネル補足解説」)。構造と窓は、最初からセットで考えられていたわけです。
窓の向こうは、巨大な「郵便の工場」
もうひとつ、この建物は事務所ではなく、郵便物を処理する施設でした。郵政博物館の研究紀要によると、館内にはベルトコンベア、昇降機、スパイラルシュート、気送管といった当時最新の搬送機器が、郵便物処理の流れに沿って並べられていました。集塵装置など、職場環境に配慮する設備もあったと記されています。
こうした機械を収めて動かすには、柱が少なく見通しのきく広い部屋が欠かせません。ここからは私の考察です。広い作業室の奥まで光を届けるには、壁を窓で大きく開く設計が理にかなっています。大きな窓は、見た目のためだけではなく、働く場所の条件から出てきたものだと考えられます。
採光と換気、どこまで言える?
採光については、吉田自身が窓面積を大きくしたと述べているとおりです。
換気はどうでしょうか。窓で換気をする意図があったかどうかは、今回確認できた資料の範囲では、はっきり書かれたものが見つかっていません。窓の開閉方式や、当時の空調設備の詳細も確認できていないため、ここでは断定しないでおきます。
白い壁と黒い窓枠に込められた吉田鉄郎の思想

吉田自身の言葉を確かめる
白と黒の組み合わせについて、吉田は次のように書いています。
> 無意味な表面装飾を廃し、純白の壁面と純黒の枠をもった大窓との対照によりて、明快にして清楚な現代建築を求めることに苦心した。
出典は、吉田が逓信建築雑誌(1933年11月)に書いた「東京中央郵便局新庁舎」という記事です(NTTファシリティーズ)。
ちなみに、似た文章は郵政博物館の研究紀要にも出てきます。こちらは『東京中央郵便局沿革史草稿』という史料からの引用で、「苦心せり」と文語調になっています。表記が少し違うため、この記事では吉田自身の文章として確認できたNTTファシリティーズの紹介文のほうを引いています。
外壁は白い偽石タイル張りと、研究紀要に書かれています。「装飾を足さずに、白と黒の対比だけで見せる」。ここに、吉田の割り切りが表れています。
白い柱と梁の「格子」を見る
吉田の建築について、NTTファシリティーズの解説は、日本の伝統的な木造建築に見られる「柱と梁の構成による力強いデザイン」に通じると述べています。
建築士の目で正面を見ると、白い柱と梁が作る格子の奥に、黒い窓がはまっています。柱・梁・窓という骨組みの構成要素だけで外観ができている、と言い換えられます。余計なものがないぶん、比率とリズムが勝負になります。
バッハと、タウトの評価
吉田は音楽、とくにバッハを愛したと、同じ解説で紹介されています。1952年の建築雑誌には、「ちょっとでも動かしたら全体がくずれてしまうといったような究極的な調和」という言葉が残っています。この文章は、バッハの音楽について書かれたものと読めます。東京中央郵便局の設計を直接語ったものではないので、あくまで吉田の美意識を知る手がかりとして受け取るのがよいと思います。
また、竣工の1年半後に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトは、この建物を日本の近代建築の代表として高く評価しました(郵政博物館 研究紀要)。タウトの評価は竣工後のものなので、設計に影響したわけではありません。
なぜ八角形の柱が使われたのか?

八角形の柱を、研究者はどう読むか
旧東京中央郵便局の特徴のひとつが、八角形の柱です。四角い柱ではなく、なぜ八角形なのでしょうか。
東京大学総合研究博物館の松本文夫特任教授は、研究コラム「八角形の柱」でこう分析しています(インターメディアテク)。
- 旧東京中央郵便局の外壁は、東京駅の配置に呼応して「へ」の字に45度折れている
- この45度の屈曲に対して、八角形の独立柱なら、向きを変えずに整然と並べられる
- 角を面取りした柱は、作業室での郵便物の搬送にも向いていた
建築士の目で考える
建築士として考えてみます。四角い柱の配列は、建物が45度折れると、折れ目のところで柱の向きが合わなくなります。八角形なら、どちらの向きから見ても同じ形に近く、無理なくつながります。
そのうえで松本氏は、八角形は「東京駅とうまく共存するための幾何学だったのではないか」と、推測の形で書いています。これは研究者の解釈であり、設計者本人がそう述べた記録ではありません。この記事でも、そのように受け止めて紹介しています。
東京駅と旧東京中央郵便局はなぜこんなに違う?

17年の差が生んだ違い
東京駅は1914年(大正3年)の開業、旧東京中央郵便局は1931年(昭和6年)の竣工です。間は17年。郵政博物館の研究紀要も、洋風建築の極致とも言える東京駅の姿とは「実に対照的」と評しています。
東京駅は、煉瓦の壁に装飾を重ねた、格式を見せる建物です。一方の郵便局は、白い箱のようにシンプルな外観です。この違いは、時代の変化として読めます。
関東大震災と、設計の見直し
研究紀要によると、新局舎の設計は大正12年(1923年)8月にほぼ完成していましたが、翌月に関東大震災が起き、設計は大幅な見直しを迫られました。そして1927年に基礎工事へ進んでいます。
ここで大切な注意点があります。震災をきっかけに構造が見直されたことは確認できますが、「震災の経験が装飾のない意匠に直接つながった」という吉田本人の言葉は、確認できていません。
もうひとつ、「東京駅に対抗して白くした」という見方もよく耳にします。これも根拠となる記録を確認できていません。東京駅の設計者・辰野金吾は1919年に亡くなっており、吉田の本格的な設計はその後です。対抗意識のような物語を足さなくても、時代と用途の違いだけで、この対比は十分に説明できます。
郵便物を運ぶ専用地下軌道があった

軌道は1915年、局舎より先に完成した
意外に思われるかもしれませんが、旧東京中央郵便局と東京駅のあいだには、郵便物専用の地下軌道がありました。
郵政博物館の研究紀要(井上卓朗氏)によると、この地下軌道の完成は大正4年(1915年)3月です。ここは時系列に注意が必要です。
- 1914年12月 東京駅が開業
- 1915年3月 地下軌道が完成
- 1917年1月 丸の内の初代局舎が竣工(1922年1月に火災で焼失)
- 1931年12月 吉田鉄郎設計の新局舎が竣工
- 1933年12月 新局舎で開局披露式、業務開始
つまり、地下軌道は吉田の局舎より前、初代局舎の時代から動いていました。
地下からホームへ
軌道は上下2線で、電気機関車が、郵便物を積んだ三輪車ごと台車に載せて走りました。東京駅のホーム側には郵便専用のエレベーターが4基あり、地下から郵便物をホームへ引き上げていたと記されています。
なお、総延長については紀要に「約1,225m」という記録があります。ただ、東京駅と郵便局の距離は約200mで、著者自身が「上下2線の合計ではないか」と疑問を呈しています。この数字を鵜呑みにしないほうがよさそうです。
その後のこと
新局舎でも軌道は活躍し、1940年には1日平均100回の往復運転を行っていました。やがて東京駅の第5ホーム増設工事が影響して、1941年4月に電気機関車による搬送は廃止されます。ただし同じトンネルは、電動牽引車による搬送に引き続き使われ、1978年10月の東京駅発の鉄道郵便の廃止まで続きました(いずれも研究紀要)。
建築士として面白いと思うのは、建物の形が「郵便物の流れ」から決まっていることです。地下軌道、搬送機器、広い作業室、大きな窓は、同じ一つの仕組みの部品だったのです。
解体の危機からKITTEへ:何が保存されたのか?

2009年の保存論争
2000年代、旧局舎は大規模な再開発の対象になりました。日本建築学会などの専門団体から保存を求める声が上がり、国会でも議論されます。
報道や公表資料をまとめた資料によると、2009年2月の衆議院総務委員会で、鳩山邦夫総務大臣(当時)は文化的価値に配慮する趣旨の答弁をしました。同年3月には、日本郵政が保存部分を拡大する方向で計画を見直す方針だと報じられています。
当初計画と最終的な姿の違いについては、関係者ごとに見方が分かれます。ここでは、特定の一人の発言が計画を決めた、という書き方は避けておきます。
保存・復原・新設を分けて見る
KITTEの低層部は、「全部が昔のまま」ではありません。公表資料などをまとめた情報では、おおむね次のように整理されています。
| 区分 | 内容 |
|---|---|
| 保存 | 東京駅前広場側の、構造躯体を含む奥行き2スパン(柱の間隔2つ分)の部分 |
| 復原 | 駅前広場に面する約150mの外壁の大部分。タイルは、状態のよいものを再利用し、大部分は既存に調和するものを新たに製作 |
| 新設 | 高さ約200mの高層棟と、その間のアトリウム |
窓も復原の対象です。創建時のスチール製の窓から、枠はステンレス、障子(開閉する部分)はアルミ製に置き換えられたとする資料があります。見た目を受け継ぎつつ、性能は現代のものにしている、ということです。
免震化、アンダーピニング、曳家はどこに行われたか
保存部分は、創建時の空間を残すため、免震構造(地震の揺れを建物に伝えにくくする構造)にされました。そのため、保存建物の荷重をいったん仮受けして下に新しい地下躯体を作る、大規模なアンダーピニング工事が行われています。さらに保存部分は、回転曳家(建物を載せたまま動かす工法)で、敷地の内側へ約1m動かされました。
これらの対象は、建物全体ではなく、保存された部分です。「建物を丸ごと免震にして動かした」と受け取られがちですが、範囲を分けて理解しておくと、保存の意味がわかりやすくなります。
建築士がすすめるKITTEの見どころ

営業時間、公開範囲、撮影のルールは変わることがあります。お出かけ前に、必ず公式の最新情報を確認してください。
外観:東京駅前広場から
まずは外から。東京駅丸の内駅舎の前から、低層部の白い外壁と黒い窓の格子を眺めてみてください。柱と梁の骨組みが作る比率、窓が並ぶリズム、そして建物が東京駅に呼応して折れているかたち。この記事で触れた特徴が、一度に見られます。
アトリウム:古いものと新しいものの境目
アトリウムは、保存部分と新築部分のあいだに設けられた空間です。どこまでが昔の建物で、どこからが新しく作られたものか。境目を探しながら見ると、保存と復原の考え方がよく見えてきます。
旧東京中央郵便局長室
吉田鉄郎没後70年展は、KITTE丸の内の旧東京中央郵便局長室で開かれました(2026年9月17日〜10月9日で終了)。展示は終了していますが、特設サイトでは補足解説などが2027年1月29日まで公開されています。局長室そのものの公開日・時間・見学条件は、現在の案内を公式で確認してください。
まとめ:建物の形には必ず理由がある
大きな窓は、SRC造という骨組みと、郵便物を処理する大きな作業室から生まれました。白い壁と黒い窓枠は、装飾を削って構造そのものを見せようとした吉田の考え方の表れです。八角形の柱は、折れ曲がる敷地と搬送のしやすさに応える形でした。
そして、地下軌道、保存、復原、新設という流れは、この建物が「使われ続けた」ことの記録でもあります。
建築は、壊してしまえば二度と同じものは作れません。残す部分と作り直す部分を丁寧に分けて引き継ぐという選択は、未来の人たちへの贈りものだと私は思います。次にKITTEの前を通るとき、窓の大きさをぜひ見上げてみてください。
よくある質問
Q. 旧東京中央郵便局の竣工と開局は、いつですか?
竣工は1931年12月、開局披露式と業務開始は1933年12月です(郵政博物館 研究紀要)。竣工と開局は2年ほど離れているため、混同しないようにしましょう。なお、吉田自身の文章には開局披露の日付が別の表記で出てくる資料もあり、日付の細部は資料によって差があります。
Q. KITTEの低層部は、当時の建物そのものですか?
一部です。構造を含めて保存された部分、外壁などを復原した部分、新しく作られた部分があります。範囲は本文の表を参考にしてください。
Q. 吉田鉄郎は、東京駅への対抗意識で白い外壁にしたのですか?
そのような記録は、確認できていません。東京駅は1914年、郵便局は1931年と、時代も用途も異なります。この対比は、時代の変化として読むのが無理のない見方です。
Q. 旧局長室や展示は、今も見られますか?
吉田鉄郎没後70年展は、2026年10月9日に終了しています。局長室を含む現在の公開状況は、KITTE丸の内の公式案内でご確認ください。
参考・出典
- NTTファシリティーズ「吉田鉄郎没後70年展」
https://www.ntt-f.co.jp/architect/profile/yoshida70/ - NTTファシリティーズ「展示パネル補足解説|吉田鉄郎没後70年展」
https://www.ntt-f.co.jp/architect/profile/yoshida70/panel-commentary.html - 松本文夫「八角形の柱」(東京大学総合研究博物館 インターメディアテク)
https://www.intermediatheque.jp/ja/rescolumn/view/year/2018/id/RC0023 - 井上卓朗「東京中央郵便局沿革史 日本初の地下電車―郵便物搬送用地下軌道―」(逓信総合博物館 研究紀要 第4号、2013年3月)
https://www.postalmuseum.jp/publication/research/docs/research_04_04.pdf - Wikipedia「JPタワー」(保存範囲・免震・曳家などの整理に参照した二次資料。日建連、日経xTECH、LIXIL等の記事を出典とする)
https://ja.wikipedia.org/wiki/JPタワー
※本記事の情報は執筆時点のものです。開館時間・料金・予約方法・休館日・工事等の最新情報は、必ず施設公式サイトでご確認ください。
※本記事の挿絵はイメージであり、実際の建物の形状・色・細部とは異なる場合があります。
