MENU

東京駅丸の内駅舎の見どころ|天井の干支と赤レンガ、見えない地下まで

東京駅丸の内駅舎の赤レンガファサードを見上げる構図、建築士が案内する見どころ紹介用の全景イメージ

この記事の要点(30秒で読めます)

  • 東京駅丸の内駅舎は、天井の干支・赤レンガ・地下の免震まで、一つの建物に複数の時代が重なっている
  • 建築士として見ると、レンガそのものより「覆輪目地」や1・2階と3階の質感差に本物を見分けるヒントがある
  • 今日からできることは、次に東京駅へ行ったとき「上・壁・足元」の順で立ち止まって見てみること

東京駅には、もう何十回、何百回と来ている。そんな人は多いはずです。でも、丸の内口に出たとき、赤レンガの駅舎をじっくり見上げたことはあるでしょうか。改札を出て、待ち合わせの相手を探し、タクシー乗り場やバス停へ急ぐ。多くの人にとって東京駅は「通り過ぎる場所」であって、「見る場所」にはなっていません。

僕は建築士として、この駅舎を何度も見てきました。そのたびに思うのは、東京駅は「一度立ち止まって見る」だけで、印象がまったく変わる建物だということです。今日は、丸の内口に立ったところから始めます。まずは、上を見上げてみてください。

東京駅丸の内駅舎の赤レンガファサードを見上げる構図、建築士が案内する見どころ紹介用の全景イメージ
目次

まず上を見てみる。東京駅のドームには何がある?

丸の内口の南北には、二つの大きなドームがあります。改札を抜けてコンコースに入ったら、ぜひ足を止めて天井を見上げてみてください。八角形の天井には、細かなレリーフがびっしりと施されています。近代の駅舎というより、まるで宮殿の一室に迷い込んだような密度です。

八角形の天井にいる8つの干支

よく見ると、天井の八角形の各方位には、干支の動物が彫られています。丑・寅・辰・巳・未・申・戌・亥。ここで気づくのは「あれ、8つしかない」ということです。十二支なら本来12種類あるはずなのに、子・卯・午・酉の4つが見当たりません。

地上から小さく見える大鷲

干支と一緒に目に入るのが、八角形の角に配置された鷲のレリーフです。地上から見上げるとそれほど大きく見えませんが、実際には両翼を広げた姿でかなりの大きさがあると資料では紹介されています。遠近感がつかみにくい高い位置にあるため、実物の迫力は現地で見上げてはじめて実感できるはずです。

十二支なのに4つ足りないのはなぜ?

なぜ4つの干支が欠けているのか。八角形という形の制約上、東西南北の正方向には柱や梁の位置の都合で干支を置くスペースが確保しにくかった、という構造的な理由が考えられます。つまり、最初から「12種類全部を東京駅に配置する」計画ではなかった可能性があるということです。ここで多くの人が気になるのが、「では残りの4つはどこへ行ったのか」という疑問です。

武雄温泉楼門の「残り4つ」は偶然?辰野金吾の仕掛け?

東京駅を設計した辰野金吾は、佐賀県の武雄温泉楼門も手掛けています。この楼門の天井には、東京駅に欠けている子・卯・午・酉の4つの干支が彫られていることが後年になって指摘され、「辰野金吾が東京と佐賀に十二支を分けて配置した」というロマンあふれる説として話題になりました。

正直、僕もこの話は好きです。ただ、建築士として資料を確認していく限り、これを裏付ける設計図や辰野自身の手記のようなものは見つかっていません。しかも武雄温泉楼門は、本来3棟建てられる計画だったものが資金の都合で1棟しか建たなかった、という記録も残っています。つまり「東京に8つ、佐賀に4つを意図的に振り分けた」というより、「東京は構造上8つしか入らず、佐賀はもともと複数棟に十二支を分散させる計画だった」という、それぞれ独立した事情が重なった結果、たまたま数が一致しているようにも見える、というのが実態に近いのかもしれません。

断定はできませんが、この「本当のところは分からない」という余白こそ、東京駅の面白さだと僕は思っています。次に東京駅へ行ったら、ぜひこの干支の数を自分の目で数えてみてください。

東京駅丸の内駅舎の南北ドーム天井、八角形のレリーフと干支の位置関係を示す構図

次は壁を見る。東京駅の赤レンガは全部100年前なの?

天井を見終えたら、今度は視線を壁に移してみます。東京駅の赤レンガというと「昔からずっとこのままの姿」というイメージを持つ人が多いのですが、これは正確ではありません。

1914年から残る部分と2012年に復原された部分

現在の丸の内駅舎のうち、1階と2階の外壁は、1914年の開業当時に積まれたレンガがベースになっています。一方、3階部分は2012年の保存・復原工事のときに新しく積み直された部分です。理由は単純で、東京駅は戦争でいったん3階部分を失っており、戦後長らく2階建ての姿で使われていたからです。つまり、今の丸の内駅舎は「100年前の壁」と「十数年前に積み直された壁」が、同じファサードの中に同居しているということになります。

「復元」ではなく「復原」と呼ぶ理由

この工事は「復元」ではなく「復原」と呼ばれています。似た言葉ですが、文化財の世界ではこの二文字がかなり厳密に使い分けられていて、資料では「推測に基づいて新しく作り直す」場合を復元、「確かな根拠に基づいて、後から変わってしまった姿を元の状態に戻す」場合を復原と説明しています。東京駅は、戦前の写真や図面、そして焼け残った部材までを手がかりに、可能な限り史実に基づいて姿を戻そうとした経緯があるため、「復原」の字が使われているというわけです。

ウェスティンならレンガより「目地」を見る

ここからは少しマニアックな話です。レンガそのものより、僕が現地でつい見てしまうのは、レンガとレンガの間にある白い線、目地の仕上がりです。東京駅の化粧レンガの目地は「覆輪目地(ふくりんめじ)」と呼ばれる技法で仕上げられています。レンガの間のモルタルを平らにせず、中央を少しふくらませるようにコテで仕上げる、手間のかかる左官技術です。

光が当たると分かる覆輪目地のすごさ

覆輪目地の面白いところは、光が当たったときに初めて真価を発揮することです。目地がわずかに丸みを帯びているため、太陽の角度によって細い陰影が壁全体に規則正しく走ります。これが、赤レンガの壁面をのっぺりと見せず、上品な立体感を生んでいる理由の一つです。復原工事では、この技法をいったん再現するための道具から作り直したと伝えられています。次に東京駅の壁の前に立ったら、レンガの色だけでなく、その間の白い線の膨らみ方をぜひ観察してみてください。

東京駅丸の内駅舎の赤レンガ外壁、覆輪目地の陰影が見える壁面のクローズアップ

東京駅は一度、今とは違う姿になっていた

赤レンガの壁を見たあとは、少し時間を巻き戻してみます。実は、僕らが今見ている丸の内駅舎の姿は、開業当時の姿がそのまま続いてきたわけではありません。

1945年の空襲で失われたドームと3階

1945年の東京大空襲で、丸の内駅舎は大きな被害を受けました。屋根や内装の多くが焼失し、南北の美しいドームと3階部分も失われています。一方で、1階と2階を支える鉄骨レンガ造の躯体は、この猛火を耐え抜きました。関東大震災でもほぼ無傷だったこの構造体が焼け残ったことが、その後の応急復旧、そして半世紀以上あとの保存・復原工事を可能にした土台になっています。

戦後はなぜ2階建てになったのか

終戦直後、資材も技術者も限られるなかで、東京駅の復旧工事は急がれました。焼失した3階部分をすぐに元通り再建する余裕はなく、2階建てに縮小した形で応急的に修復されています。丸いドームの屋根も、当時は木造トラスによる八角形の台形屋根に置き換えられました。

約60年間使われた「もう一つの東京駅」

この戦後の姿は、あくまで一時的な応急復旧のつもりで作られたものだったといわれています。ところが結果として、この2階建て・八角屋根の東京駅は、昭和から平成にかけて約60年ものあいだ使われ続けました。今の30代から60代の読者にとって、実はこちらの「もう一つの東京駅」のほうが記憶に残っている、という人も少なくないはずです。東京駅の歴史は「創建→焼失→即座に元通り」という単純な流れではなく、その間に長い「別の姿の時代」を挟んでいる、という点は意外と知られていません。

戦後の東京駅丸の内駅舎、2階建て・八角形の屋根だった時代を想起させるイメージ

見上げた後は足元も見てほしい

ドームの天井を見上げ、壁のレンガと目地を確認したら、最後にもう一度、視線を下げてみます。実は東京駅は、上だけでなく足元にも、時代の記憶を残すような設計上の工夫が込められています。

現在の床に残された戦後ドームの記憶

現在のドーム内、コンコースの床には、大理石を使った幾何学模様が描かれています。この模様、実は約60年間使われた戦後の八角屋根ドームの意匠をもとにしていると紹介されています。つまり、天井は創建時の姿に復原されている一方で、床には戦後の時代の記憶がレイヤーとして残されているということです。

建物を昔の姿に戻しても途中の歴史を消さなかった

普通に考えれば、「昔の姿に戻す」復原工事では、途中の時代の痕跡は消してしまってもおかしくありません。しかし東京駅では、戦後の記憶をあえて床という別の場所に残すという選択がされています。建築士として見ると、これはとても丁寧な設計判断だと思います。建物の見た目を一つの時代に固定してしまうのではなく、複数の時代が重なっていることを、さりげなく伝えているからです。

ちなみに、この足元にはもう一つ、東京の近代史を伝える印があります。丸の内南口や中央乗換口付近の床には、大正・昭和期に起きた首相遭難事件の現場を示す小さなマークが今も残されています。本題ではありませんが、毎日多くの人が通り過ぎているその足元に、こうした歴史が静かに刻まれていることも、東京駅の面白さの一つです。

東京駅丸の内駅舎の南北ドーム床面、大理石の幾何学模様のクローズアップ

建築士として一番驚くのは、実は見えない地下

ここまでは、目に見える部分の話でした。ただ、僕が建築士として東京駅で一番驚くのは、実は目に見えない場所、地下に隠されています。

巨大なレンガ駅舎を残したまま免震化

2007年から2012年にかけて行われた保存・復原工事では、外観を創建時の姿に戻すだけでなく、地下に大規模な免震装置を新設する工事も同時に行われました。100年前に建てられた無補強に近いレンガ造の駅舎を、そっくりそのまま残しながら、その真下に地震の揺れを逃がす装置を組み込んだということです。

駅を使いながら、その下を工事する

驚くのはその工法です。1日に非常に多くの人が利用するこの巨大な駅を、営業を止めることなく、下から支えながら地下を掘り進めていく「仮受け工法」が採用されました。駅舎の重さを少しずつ新しい支柱へ移し替え、建物をいわば宙に浮かせたような状態を保ちながら、その下に新しい地下空間を作っていく。完成後には、免震装置の上に建物の重さをそっと載せ替える、という手順が踏まれています。工事期間中も駅の機能はほとんど止まらなかった、というだけで、その難易度の高さが伝わってきます。

古い外観と最新技術は両立できる

「100年前の見た目のまま、地震への備えは現代基準にする」。この東京駅の保存・復原のあり方は、建築士としてとても示唆に富んでいます。古い意匠をそのまま残しながら、目に見えない部分の性能だけを現代化する、という考え方は、実は住宅のリノベーションにも通じるところがあります。古い柱や梁の風合いをそのまま生かしつつ、断熱や耐震といった見えない性能だけを現代の基準に引き上げる。東京駅は、そのスケールを都市規模まで拡大したような事例だと言えるでしょう。

東京駅丸の内駅舎の地下免震構造をイメージした断面的な構図、駅舎を支える構造体の様子

東京駅は「空」を使って残された?

見えない地下の話をしたところで、もう一つ、東京駅がなぜ今の姿で残っているのか、その背景にも触れておきます。

建て替えか保存かで揺れた丸の内駅舎

実は、今のように赤レンガの駅舎が残っていることは、決して当たり前の結果ではありませんでした。高度経済成長期からバブル期にかけて、丸の内という一等地に建つ低層の古い駅舎を、高層ビルに建て替える構想が何度も浮上しています。歴史的な価値を惜しむ声と、土地の有効活用を求める声との間で、長く議論が続いていました。

使っていない容積率を周辺の高層ビルへ

この議論を動かしたのが、「特例容積率適用区域制度」と呼ばれる仕組みです。専門的な説明は避けますが、簡単に言うと「東京駅の敷地の上に、本来なら建てられたはずなのに使っていない床面積」を、周辺の高層ビル開発事業者へ移す、という考え方です。東京駅の上に建てなかった分の床面積を周囲へ移すことで、駅舎を低層のまま保存しながら、その資産価値を無駄にしない、という道が開けました。この仕組みによって得られた資金が、保存・復原工事の費用の一部にあてられたと紹介されています。

歴史建築と超高層ビルが共存できた理由

丸の内駅前広場に立ち、東京駅を取り囲むように並ぶ超高層ビル群を見上げてみてください。低層の赤レンガ駅舎と、その背後にそびえる高層ビル群は、一見すると対照的ですが、実はこの「空中権」の仕組みによって経済的にも支え合っている関係にあります。歴史的建築を保存することと、都市を高度に利用することは、必ずしも対立しない。東京駅は、そのことを体現している数少ない事例の一つです。

東京駅丸の内駅舎と、その背後にそびえる丸の内エリアの超高層ビル群を対比させた構図

本物の東京駅をもっと近くで見るなら

ここまでは駅前や駅舎の外から見える部分の話でしたが、東京駅は建物の内部でも、その歴史をかなり近い距離で見ることができます。

東京ステーションギャラリーで構造レンガを見る

丸の内北口にある東京ステーションギャラリーは、駅舎の中で活動している美術館です。展示室へ向かう階段や壁の一部には、仕上げの漆喰をあえて取り払い、構造を支えるレンガがそのまま露出した状態で残されています。イギリス積みやオランダ積みと呼ばれる、レンガの向きを交互に積み重ねる伝統的な積み方を、間近で観察できる貴重な場所です。

炭化した木レンガや英国製鉄骨

さらによく見ると、壁面には空襲の熱で黒く炭化した木材の跡や、内装を固定するために埋め込まれていた木レンガの痕跡が残っています。また、鉄骨の一部には、当時輸入されていた英国の製鉄会社の刻印が今も読み取れる箇所があると紹介されています。展示作品を鑑賞するだけでなく、壁そのものが建築史の展示物になっている、という感覚を味わえる場所です。

東京ステーションホテルは駅舎を内側から体験する場所

駅舎内には、開業の翌年から東京ステーションホテルが営業しています。宿泊しなくても、レストランやバーの利用を通じて、駅舎を内側から体験することができます。南北のドームを取り囲むように配置された客室からは、コンコースを行き交う一般の利用者が見上げるレリーフを、ほぼ同じ高さで間近に眺められるとされています。不定期に、館内を見学できるプラン付きの企画が行われることもあるので、興味がある人は公式情報を確認してみてください。

東京ステーションギャラリー内部、構造レンガと鉄骨が露出した壁面のイメージ

建築士の僕なら、東京駅ではこの5つを見る

ここまでの話を、現地で実際に確認しやすい5つのポイントに整理しておきます。

上と壁で見つけたいポイント

  • ①ドームの干支:八角形の各方位に彫られた8つの干支を、実際に数えてみる
  • ②覆輪目地:赤レンガの間の白い線が、少しふくらんでいることを確認する
  • ③1・2階と3階の違い:レンガの色や質感の差から、創建時の壁と復原された壁の境目を探す

足元と地下で見つけたいポイント

  • ④ドームの床:大理石の幾何学模様に、戦後の記憶が転写されていることを思い出す
  • ⑤見えない地下:自分が立っている床の下に、巨大な免震装置が組み込まれていることを想像する

一つひとつは小さな確認作業ですが、これを意識するだけで、東京駅を歩く体感はかなり変わってくるはずです。

東京駅から歩いて行ける建築も面白い

丸の内駅舎を堪能したら、そのまま周辺を歩いてみるのもおすすめです。徒歩圏内には、近代建築の名作がいくつも残っています。

皇居側に広がる近代建築

行幸通りを挟んで皇居側に向かうと、三菱一号館美術館や明治生命館、日本銀行本店といった建物が点在しています。いずれも同時代、あるいはそれに近い時代に建てられた洋風建築で、東京駅と見比べることで、当時の建築様式の幅の広さが見えてきます。

少し足を延ばして日本橋まで

もう少し足を延ばせば、日本工業倶楽部会館や日本橋高島屋にもたどり着きます。保存と再開発を組み合わせた事例、百貨店建築として文化財に指定された事例など、東京駅とはまた違う「古い建物の残し方」を見ることができ、建築散歩としてもかなり満足度の高いコースになります。

今日から確認できる3つのポイント

東京駅について、すべてを覚えていく必要はありません。次に東京駅へ行ったときに、次の3つだけ確認してみてください。

  • まず天井を見上げて、八角形のドームにいる干支の数を数えてみる
  • 赤レンガだけでなく、その間の目地の膨らみ方も見てみる
  • 足元を見て、そのさらに下に広がる見えない地下の存在を想像してみる

いつも通り過ぎていた丸の内駅舎が、少しだけ違う建物に見えてくるはずです。

よくある質問

Q. 東京駅丸の内駅舎の干支のレリーフは無料で見られますか?

はい。南北ドームがあるコンコース部分は、常時無料で見学・通行が可能なエリアです。改札の外側からでも見上げることができます。

Q. なぜ十二支なのに8つしかないのですか?

八角形の天井の構造上、東西南北の正方向には干支を配置するスペースが確保しにくかったためと考えられています。残り4つを意図的にどこかへ振り分けたと断定できる資料は確認されていません。

Q. 佐賀県の武雄温泉楼門との関係は本当ですか?

武雄温泉楼門には、東京駅にない4つの干支と同じものが彫られています。話題性のある説ですが、辰野金吾がそれを最初から意図していたと裏付ける設計図や手記は見つかっておらず、偶然の可能性も含めて資料では紹介されています。

Q. 赤レンガはすべて1914年当時のものですか?

いいえ。1階と2階のレンガは創建時のものがベースですが、3階部分は2012年の保存・復原工事の際に新しく積まれたものです。

Q. 「復元」ではなく「復原」と呼ばれるのはなぜですか?

推測に基づいて新しく作り直すことを「復元」と呼ぶのに対し、確かな史料的根拠に基づいて元の姿へ戻すことを「復原」と呼びます。東京駅の工事はこの後者にあたるため、そう呼ばれています。

Q. 覆輪目地とは何ですか?

レンガとレンガの間のモルタルを平らに仕上げず、中央を少しふくらませるように整える伝統的な左官技法です。光が当たると陰影が生まれ、壁面に立体感を与えます。

Q. 戦後の東京駅は今と違う姿だったのですか?

はい。1945年の空襲で3階部分とドームを失い、戦後は2階建て・八角形の屋根という姿で、約60年間使われていたと紹介されています。

Q. 地下に免震装置があるのは本当ですか?

保存・復原工事にあわせて、駅舎の地下に免震装置を新設する工事が行われたと紹介されています。営業を続けながら地下を掘り進める「仮受け工法」が採用されました。

Q. 東京ステーションギャラリーでは何が見られますか?

企画展の鑑賞に加えて、漆喰を取り払った構造レンガや、炭化した木レンガ、輸入された鉄骨の刻印など、建物そのものの歴史を間近で見ることができます。入場には別途料金が必要です。

Q. 東京ステーションホテルは宿泊しなくても利用できますか?

レストランやバーの利用を通じて、宿泊せずに駅舎内部の意匠に触れることができます。館内見学ツアー付きのプランが不定期に企画されることもあります。

参考・出典

  • 鹿島建設「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事」特設ページ(工事概要・免震レトロフィット・仮受け工法)
    https://www.kajima.co.jp/tech/c_tokyostation/index.html
  • 政府広報オンライン「開業から110年を迎えた日本最大級の欧風近代建築『東京駅』」
    https://www.gov-online.go.jp/
  • 文化庁 国指定文化財等データベース(東京駅丸の内駅舎・重要文化財指定、日本煉瓦製造製れんが関連資料)
    https://kunishitei.bunka.go.jp/
  • 東日本鉄道文化財団「東京ステーションギャラリー 施設案内」(構造レンガ・木レンガ・鉄骨露出について)
    https://www.ejrcf.or.jp/gallery/
  • 奈良文化財研究所「なぶんけんブログ:復原と復元の違い」(文化財用語の学術的定義)
    https://www.nabunken.go.jp/
  • (武雄温泉楼門と干支の関係については諸説あり、辰野金吾自身の設計図・手記による裏付けは確認されていないため、本文では断定を避けています)

※本記事の情報は執筆時点のものです。開館時間・料金・予約方法・休館日・工事等の最新情報は、必ず施設公式サイトでご確認ください。

※本記事の挿絵はイメージであり、実際の建物の形状・色・細部とは異なる場合があります。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次